みんながうなずくその共感は、誰かへの怒りのすり替えかもしれない
ある投稿を見かけた。
「トイレットペーパー、芯だけになってた。補充しておいてほしいなぁ」
芯だけの画像付きで、ため息まじりの文が添えられていた。
コメント欄には「わかる」「それ私も嫌」「ありえない」といった共感がずらりと並んでいた。
小さな不快感をきっかけに、みんなが「そうそう」とうなずき合う、いつもの光景だ。
でも、ふと、こんなことを思った。
それって、ほんとうに「芯だけ」に怒ってるんだろうか?
それとも、誰か“特定の人”へのモヤモヤを、
「あるある」の形にすり替えてるだけなんじゃないだろうか。
「芯だけ」が言いたかったわけじゃないのかもしれない
家庭でさえ、生活する人が二人以上いれば、価値観はズレる。
だからこそ、家の中にはちいさなルールがある。
「ゴミ出しは誰がする」「洗濯物はどこに干す」「冷蔵庫の物は勝手に食べない」……
こうした日々の取り決めは、家族を円滑に保つための“知恵”だ。
ましてや、他人と働く職場、そして誰が使うかわからない公共の空間。
そこに「察してよ」は通じない。
「気づいたらやるでしょ?」も、「それが普通でしょ?」も、すべてはその人の“感覚”にすぎない。
だから本当は、「補充しておいてほしいなぁ」と感じるなら、
きちんと業務としてルール化すればいい。ただ、それだけの話だったはずだ。
飲み込む・ルールにする・自分でやる
この手のもやもやには、だいたい三つの選択肢がある。
1つは、「補充されてなかったのね。じゃあ補充しよう」と、自分のために動くこと。
もう1つは、「誰が補充するか」を明文化して、業務としてルールに組み込むこと。
そしてもう1つは、そのどちらもしない代わりに、
もやもやを誰にもぶつけず、飲み込むということ。
どれも一長一短だ。
けれど、どれも「解決策」として成立する。
それでも納得がいかないとき
では、こうした選択肢があるにもかかわらず、
どうしても納得がいかないとしたら?
ふと、こんなふうに思ってしまう。
それはもう、「トイレットペーパーの補充」という“行動”が問題なんじゃなくて、
補充しなかった“誰か”への、積もった感情なんじゃないか――と。
もしかしたら、その人は、ほかの場面でも「気づかない人」なのかもしれない。
いつも黙っていて、黙ったまま人に押しつけるような空気があるのかもしれない。
あるいは、自分が気を配っているぶん、その人の“鈍さ”が許せなくなっているのかもしれない。
そんな積み重ねが、「芯だけ」の場面で、
ひっそりと爆発する。
でもそれを真正面から言うのは、なんだか気まずい。
だから「共感ポスト」のかたちにして、“共犯者”を探しに行くのかもしれないね。
共感という名前の、すり替え
SNSでの共感には、あたたかさと、やさしさがある。
でも、時にそれは「正しさ」の仮面をかぶって、
“責める矛先”を正当化してしまうことがある。
私は間違ってないよね?
これはみんながイラッとすることだよね?
……それってほんとうに「共感」だろうか?
もしかしたら「同意の拍手」によって、
自分の怒りや寂しさを、誰かにぶつけているだけかもしれない。
誰かのせいにしたくなったら
自分が感じた違和感を、
「環境のせい」「文化のせい」「価値観のズレ」と言い換えることはできる。
でも、それでもなお、
飲み込めず、笑えず、手放せない感情があるとしたら――
それはもう、
「誰か」への不満が、ただかたちを変えているだけなのかもしれない。
最後に、そっと置いておく
補充されていないトイレットペーパーを見て、
自分のケツを拭くために補充する。
それが一番シンプルで、いちばんストレスのない生き方だと思う。
でも、もしその行動に“損をしてる気持ち”が湧いてきたら、
その感情にだけは、嘘をつかないであげてほしい。
怒りが湧くということは、きっと、それまでに我慢したことがあるからだ。
そして、怒りの矛先を間違えると、
自分自身が、さらに苦しくなってしまう。
だからこそ、こういう小さな出来事のなかに、
自分の“声にならなかった気持ち”が潜んでいるのかもしれないね。
著者プロフィール:
介護福祉士として6年半、介護に従事。その後、福島県で心理カウンセラーとして、介護に従事する方を中心にオンラインでメンタルケア、カウンセリングを行っている。また、介護に限らず、日常のあらゆる愚痴聞きを受けている。
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